作文の部

特選

  • しろごはんがすきです

    小学校1年生

    吉岡 柚菜(よしおか ゆずな) 私立学校法人高知学園 高知小学校

    しろごはんがすきです

    私立学校法人高知学園 高知小学校 1年生 吉岡 柚菜

     わたしは、ごはんの上にふりかけやおしおをかけてたべています。おいしいです。いろいろなやさいがはいっているふりかけのおにぎりが、すきです。しおおにぎりは、たきたてのふわふわしろごはんに、おしおをかけてにぎったら、かんせいです。あと、おわんにごはんをいれて、たまごをかけて、たまごかけごはんをじぶんでつくっています。たまごかけごはんのたまごのしろみがおいしくってあまくなります。
     わたしのおこめは、おばあちゃんちでつくっています。かぞくのしごとは、それぞれちがいます。ふゆのきせつにおとうさんが、トラクターにのります。たんぼの土をたがやします。はるは、おばあちゃんとおかあさんといっしょにくさぬきをします。あつくてつかれて、おなかもすくけど、てつだうのがすきです。なつになったらいねかりをします。とてもいそがしいです。
     きょねんのいねかりも、おてつだいをしました。おとうさんがかったいねを、わたしがふんでつぶすおてつだいをします。そのとき、おばあちゃんが、
    「ゆずのおこめやったら、ぜったいおいしいよ。おこめのたべくらべをしたら、ゆずのおこめがおいしいにきまってる。」
    といわれて、うれしかったです。わたしは、そうやったらいいなあ、いとこのゆめちゃんとはるまくんにもたべくらべをしてもらいたいな、とおもいました。
     しんまいは、たべたらあまくてしあわせなあじだとおもいます。このあきにたいへんないねかりもてつだって、おいしいしんまいをたべたいです。そして、らいねんも、おとうさんがたがやしたひろいたんぼにいる、さぎやたくさんのとりを見たいです。くさぬきもおかあさんとおばあちゃんといっしょにがんばってやります。

    審査講評

     ごはんには、いろいろな食べ方があります。ふりかけをかけたり、塩おにぎりにしたり、卵かけご飯にしたりと、どのような食べ方をしてもおいしいですね。 
    そのお米が、おばあちゃんちで作ったものであり、ゆずなさんがお手伝いをして作ったものであれば、なおさらおいしいことでしょう。
     おいしいお米は、簡単にはできません。おばあちゃんと一緒に暑い中草引きをしたり、お父さんと一緒に稲刈りをしたりしているから、おばあちゃんの言う『ゆずのおこめ』ができるのです。さあ、今年はどんな『ゆずのおこめ』ができるのでしょう。楽しみですね。
  • お米は笑顔のもと

    小学校1年生

    寺岡 莉亜(てらおか りあ) 高知市立三里小学校

    お米は笑顔のもと

    高知市立三里小学校 1年生 寺岡 莉亜

     私の家族は六人いて、お米は毎日四合炊いています。お母さんは仕事をしていたり、しないといけないことをたくさんしたりしているので、いつも私がお米を炊いています。
     この前、私は気づいたことがありました。それは、水の量でお米のやわらかさが違うことです。
     水をお米よりも上に入れ過ぎてしまうと、炊き上がったときにお米がびちゃびちゃになってしまいます。逆に、お米よりちょっと水を下に入れて少なめにしてしまうと、ちょっと固めのお米になってしまうのです。だから四合だとだいたい目盛りの4と5の間になるように水を入れると、ちょうどよいやわらかさになりました。この日から、私はいつも4と5の目盛りの間に水を入れています。
     お米が炊けて、ふたを開けるしゅん間、たまらない気持ちになります。ふっくらしているかなとわくわくしながら開けると、もわんと湯気が出てきてお米のいいにおいがしておなかがすきます。白く光っているお米をすくって家族みんなの茶わんに、お米を入れます。それからみんながお米を口の中に入れると、
    「おいしい。」
    と言って、笑顔になります。私もお米を食べると笑顔になります。みんなでお米を食べていたら、心がふわふわしてきます。
     それに、私はいつもお米に助けられています。おなかがすいた時は、おにぎりを食べて、熱が出た時にはおかゆを食べて、毎日当たり前のようにお米を食べています。でも昔はどうだったんだろうと思うことがあります。戦争の時は、お米や魚などの当たり前にある食べ物が食べることができなかったことを思うと、(お米を食べてもらいたかった。お米を食べて笑顔になってほしかった)と思います。
     私は、おなかがすいた時には必ずお米がありました。けれど戦争の時は、となりにお米はありませんでした。だから私は、いつもお米を育ててくれた農家さんにも、鳥や魚にもありがとうと思って食べています。また、悲しい時も悔しい時もお米を食べれば、笑顔になります。お米を食べれば、「おいしい」この言葉が出てきます。お米は、家族や友達と仲を深めるためのま法だと私は思っています。お父さんが言った言葉「作ってくれるのが当たり前と思ったらいかん」も、毎日心の中でも大事にしています。
     お米を洗うのがめんどくさいと思った日は、いつもお母さんに任せています。でも自分でも何かしなきゃと思って、どんな時でも、いつも作ってくれている人のことを思って感謝しながらお米を洗っています。そんなお米がとてもおいしいです。お米は農家さんが一生けん命育てた一粒一粒大切なお米です。どんな人でも、悲しい時でもお米を食べれば、笑顔になります。
     お米はま法です。お米は笑顔のもとです。

    審査講評

     お米を食べると、家族みんなが笑顔になります。また、莉亜さんが悲しいときも悔しいときも、お米を食べれば笑顔になることができます。だから、作文の題にあるように『お米は笑顔のもと』なんですね。
     むかし、日本が戦争をしていたときには、、今のように自由にお米を食べることができませんでした。だから、多くの人々はひもじい思いをし、徐々に笑顔が消えていってしまいました。お父さんが言うように、お米を作ってくれるのが当たり前と思わずに、お米を作ってくれるみなさんに感謝しながら、笑顔のもとになるお米をたくさん食べていきましょう。
  • お米とわたし

    中学校2年生

    重松 由依(しげまつ ゆい) いの町立本川中学校

    お米とわたし

    いの町立本川中学校 2年生 重松 由依

     私はお米が好きです。いつも食事の主食はお米です。私はよくお米を食べます。特に部活が終わった後の晩ご飯はよく食べます。先日、六月十日に行われたバドミントンの地区体のお昼はお弁当でした。
    地区体は吾北の体育館で行われました。会場は普段の大会より近かったのですが、それでも朝は早く、朝ご飯もいつもより少なかったです。そのせいか、最初の女子の団体戦が終わる頃にはおなかがすいていました。その後、個人戦の試合があり、試合が終わるとお昼を食べました。お弁当はご飯の上にからあげやポテトサラダがのっていておいしかったです。すごいおなかがすいていたはずなのにそのお弁当だけでおなかがいっぱいになりました。他にも差し入れがありましたが、私は食べられませんでした。
    さらに、部活の時にもお米を食べる時があります。先生方が大会前や夜練の時に差し入れをしてくれます。その中でも、私はおにぎりがとても好きで、食べると元気が出てきます。 おにぎりの中には、鮭やおかかなどが入っていておいしいです。生徒の中には二、三個食べる人もいます。そのおにぎりを食べると「次も頑張ろう。」「絶対に勝つぞ」などとやる気がわいてきます。
     お米はすごいなと思います。パンを食べるとすぐにおなかがいっぱいになり、その後すぐにおなかがすくのであまり好きではありません。でもお米は、おかずとの相性がよく、好きなメニューの時はおかわりします。私は特に、お刺身と食べるのが一番好きです。お刺身やしょうゆとマッチしておいしいです。いつも二回ぐらいおかわりします。もし、一日の食事が三食パンか三食ご飯かを選ぶようにと言われたら、私は確実に三食ご飯の方を選びます。パンにもいろいろ味がありますが、私はすぐに飽きてしまうのでご飯のほうがいいです。ご飯はのりやふりかけで味を変化させることができるし、毎日食べてもあきません。
     私は、去年、総合的な学習の時間に吾北分校で田植えと稲刈りをしました。田植えでは苗を一つ一つ丁寧に植えていきました。印に合わせてきれいに植えていくのは大変でした。土は軟らかく、歩くのも大変でした。その日は晴れていて、汗をかきました。今では機械を使って田植えをしたりもしますが、使えない場所や機械化されていない頃の人たちは、暑い中田植えをするのが大変だっただろうなと思いました。
     稲刈りでは、約半分以上がイノシシに踏まれ、稲が倒れている中やりました。みんなで一生懸命植えたので、少し悔しかったです。実際に稲を刈ると思ったよりずっしりしていて重たかったです。私たちは、苗を植え、稲を刈っただけですが、その間、ずっと吾北分校の皆さんがお米を育ててくださったのだと思います。私が知らないところで水を当てたり、草を引いたりという努力があってこそ、おいしいお米として私たちの口に入るということを学びました。
     そして、十二月にそのお米で餅つき大会をしました。お米は餅つきという日本の伝統的な風習も支えています。お米とともに日本人が生きてきたことがよくわかりました。
     私は田植えや稲刈りをしてさらにお米が好きになりました。最近は、お米の消費量が減り、米作りをやめる農家の方も増えていると聞きます。日本の食文化の根底にあるお米。私たちはもっとお米を大事にすべきだと思います。これからも作ってくれた人々に感謝しながら、おいしいお米を食べたいです。

    審査講評

     部活のバドミントンの練習をするときも、試合をするときもお米は欠かすことができません。それは、お米が体にエネルギーを与えるだけではなく、「次も頑張ろう」と、心にもエネルギーを与えてくれるからです。
     お米の消費量が年々減ってはいますが、由依さんのようなお米が大好きな中学生はたくさんいます。それを知ってもらうために、お米を作っている農家の皆さんにぜひ読んでもらいたい素晴らしい作品です。

入選

  • いただきますとごちそうさまの意味

    小学校5年生

    澤田 爽(さわだ そう) 高知市立三里小学校

    いただきますとごちそうさまの意味

    高知市立三里小学校 5年生 澤田 爽

     ぼくの夜ごはんは、ほとんど毎日ご飯です。夜ご飯は、白ご飯が多いけれど、朝ご飯は、たまごご飯や、なっ豆ご飯などの、味つけご飯が多い。それは、ぼくが白ご飯だと、味がないから、ちょっとだけ食べるのがおそい。
     けれど、ぼくは、それでも気をつけているのが、ご飯つぶを残さないことを、気をつけている。
     それは、お父さんが、前ぼくがまだ、小さかったときに、ご飯つぶを残して、お皿を持っていったら、お父さんが、
    「最後の最後まで、一つぶまで食べんと、洗うのが大変で。」
    と言った。
     ぼくは、(そうでもないやろ)と思って自分が食べたちゃわんを洗ってみたら、ベトベトしていて、本当に洗いにくかった。
     だから、それから、ご飯つぶを残すことをなくした。
     そして、それからは、残さないようにするとお父さんも、
    「最近、ご飯つぶ残さんようになったね。いただきます。の意味になっているね。えらい。」
    と言った。
     けれど、思い出してみると、その時は、その意味が分からなかったんだと思う。
     けれど、今は、いただきますは、作ってくれた人や、野菜などを作ってくれた人におれいということが、分かりだした。その中には、お米を作ってくれた人も入っている。
     ご飯つぶを残したら、お米を作ってくれた人の努力や気持ち(おいしく育って)といったものがなくなる。
     だから、社会のじゅぎょうでならったことが、分かりだしてからは、なおさら、今までよりも、もっとご飯つぶを残さないように、気をつけている。
     そして、それを続けていって、ご飯つぶを残さず、お父さんに言われた通りに、最後の最後まで、食べている。
     しかも、一つぶずつ残してったら、朝、昼、ばん、ごはんだと、ものすごい量に、ちゃわん一ぱい分に、一食分に、めっちゃ、すごくもったいなくなる。
     これからも、ちゃわんのすみについている、小さな米つぶも残さず、最後まで、食べて、全部のごはんのむだをなくして、食べたいです。
    「いただきます。」

    「ごちそうさまでした。」
    をこれからも、気をつけて、お米や、食べ物をつくってくれている人、ごはんを作ってくれている人などに、かんしゃの気持ちをわすれずに、米つぶを残さず、最後の最後まで、きちんと、米つぶだけでなく、ほかの具まで食べたいです。

  • お米が危ない

    義務教育学校5年生

    里見 美由紀(さとみ みゆき) 高知市立義務教育学校 土佐山学舎

    お米が危ない

    高知市立義務教育学校 土佐山学舎 5年生 里見 美由紀

     私は、お米が大好きです。ふりかけや、具材などと一緒に食べても美味しいのですが、何もかけずにそのまま食べるのが一番美味しいです。なぜなら、お米が甘くてもちもちしてすごく美味しいからです。五年生になって社会科や総合的な学習の時間でお米ができるまでのことやお米についてくわしく勉強しました。そこで、お米作りの問題も学びました。
     お米作りの問題は3つあり、1つ目は食生活が変わってきたことです。最近は主食が米ではなく、パンになるということが増えてきています。稲の作付面積を減らし、他の作物などに転作するということが起きているそうです。問題の2つ目は、人手不足の点です。農業では、高齢で働いている人が多く、若い人がとても少ないです。そうすると高齢の人がお米作りをやめてしまい、お米作りの後を継ぐ人がいなくなるのでお米作りが終わってしまうという点です。3つ目は、外国との競争です。値段の安い外国の米が広まり、自分の作ったお米が売れなくなってしまい不安を感じる農家の人もいるという点です。私は、このような問題がお米作りにはあるんだと知ってショックでした。普段食べているお米が「いつかなくなってしまうのではないか」と心配になってしまいます。
     私は地域の方に協力してもらい、自分たちでもみまき、田植えを行いました。実際に体験してみて、すごく大変だったけど、私達にお米作りを教えてくれた佐藤さんは、お米を愛情たっぷり育てて「美味しい!」と言ってもらえるように毎日毎日手間ひまかけて育てていることが分かりました。私も総合の学習などでパンを作って販売したことがあり、みんなでたくさん考えて販売したパンを「美味しい!」「買って良かった。」とお客さんが喜んで食べてくれたのがとても嬉しかったので農家さんの気持ちがよく分かります。手間ひまかけて作ったものを喜んでくれるのは、本当に嬉しいです。私もこれから稲かりやお米のメニューを開発しますが、やっぱり大切に育てたものを、みんなにたくさん食べてもらい、「美味しい」など思ってほしいです。
     お米は、私達にとってとても大切であり身近なものです。だからこそお米はなくなってほしくないです。わたしはまだ田植えやもみまきしかしていませんが、とても大変だと感じました。佐藤さんはみんなに美味しいお米を食べてほしいという思いがあるから、大変だけど美味しいお米ができるんじゃないかと感じました。だから、農家さんが愛情込めて作ってくださったお米をたくさん食べたいです。

  • わが家のお米は日本一!

    小学校5年生

    西岡 茉優(にしおか まゆ) 中土佐町立大野見小学校

    わが家のお米は日本一!

    中土佐町立大野見小学校 5年生 西岡 茉優

     私が食べるお米は、おじいちゃんとおばあちゃんが作ってくれています。私はどんなお米よりも、わが家のにこまるが大好きです。
     にこまるは、香りが良くて、口の中でふわっと広がる甘みが特ちょうです。その粒は、うちで作っている他の品種の粒より大きいです。作る時も、おじいちゃんとおばあちゃんが愛情を注いでくれて、おいしいお米になります。私もたまに手伝いますがすごく大変です。
     春は、私が好きな種まきと、田植えがあります。特に種まきでは、機械の中を苗箱が通って土がかぶせられて、あっという間に完成していくところがおもしろいです。この日は、高知のおじいちゃんも手伝いに来てくれて、にぎやかになります。そして休けいの時はみんなでアイスを食べます。私は、アイスを食べると、もりもりとやる気がわいてきて、がんばるぞ!という気持ちになります。そうして大きく育った苗は、おじいちゃんとお父さんが田植え機で植えてくれます。
     夏は、草かりや消毒があります。ときどきイノシシが来ていねをたおしたり、台風でたおれたりもします。それでもくじけたりせずに一生けん命お米を育てていて、私はお米農家の心の強さを知りました。
     秋はいねかりです。いとこ達も手伝いに来てくれます。主におじいちゃんとお父さんがコンバインに乗ります。お母さんと私とおばあちゃんは、もみすりをします。しゃべりながらするのは楽しいです。そして私が一番楽しみにしているのは、新米を食べることです。新米は、言葉で言い表せないほどおいしくていくらでも食べれます。いままでしてきた努力がむくわれるしゅん間です。このしゅん間が幸せです。
     冬は、何もしていないと思っていましたが、春に向けて土をたがやしています。おじいちゃんとおばあちゃんの顔は余裕の笑みがうかんでいます。
     一年を通して考えてみると、とても大変だと思います。でもみんながごはんを食べているときの笑顔を見ると、またがんばれる気がします。私も年を取ったら、わが家のにこまるや他の品種を守って行きたいです。そしてみんなにすすめてもっとたくさんの人ににこまるを食べてもらいたいです。そしてみんながにこっと笑顔になれるように、これからも手伝いがんばります。

  • 門脇米

    中学校3年生

    門脇 辿(かどわき てん) 高知市立愛宕中学校

    門脇米

    高知市立愛宕中学校 3年生 門脇 辿

     僕はお米が大好きです。
     僕が毎日食べているお米は祖父の田んぼで作っています。
     春になるとお米を作るための作業が始まります。父がトラクターで田んぼを耕します。僕は耕運機を使って畦切りをします。手伝いをしていると
    「ホーホケキョ」
    と、ウグイスが鳴きます。日差しも暖かく春を感じます。昼休憩の時のお昼寝はとても気持ちよく眠ることができます。
     四月の下旬には田植えをします。今年はなかなか雨が降らなかったので、祖母が心配をしていましたが、無事植えることができました。
     水が張られた田んぼは水面がキラキラとしていてとてもきれいです。長靴を履いて田んぼに入るとまだ水が冷たくてとても気持ちいいです。僕は転ばないようにゆっくり慎重に歩きます。
     五月には田んぼの横の小屋の中で、バーベキューをしました。少し成長した稲。田んぼの中からはカエルの鳴き声が聞こえてきます。田んぼをのぞき込むと、あめんぼやおたまじゃくしが見えます。僕は虫やカエルが苦手なので捕まえることはしません。じーっと見ているだけです。普段は苦手な虫でも田んぼに行くと不思議とそこまで嫌な気持ちにはなりません。
     八月になるといよいよ稲刈りです。この時期は日差しも強く、とにかく暑い。熱中症にならないように休憩と水分補給はとても大事です。
     今年は予定していた日に雨が降ったので、一週間ほど遅れて稲刈りをしました。
     四月の田植えの時とは見違えるほど成長した稲。黄金色に色づき、頭を垂らしています。台風の雨や風にも負けずに、しっかりと立っています。
     父や祖父が機械でどんどんと刈っていきます。僕は刈られた稲を運び、竿にかけていきます。今年は初めて祖父のトラクターに乗って運転して稲を運びました。
     母から
    「運転上手やね。すごい助かったよ。」
    と言ってもらえてうれしかったです。祖父からは
    「大活躍やったね。」
    と言われ、少し照れくさかったです。
     稲刈りが終わった田んぼは散髪した頭のようにすっきりとしています。
     稲刈りが終わると次は脱穀です。実はまだお天気が悪くて脱穀はできていません。
     僕は今年のお米もきっとおいしくできていると思います。毎年手伝いをしていますが、お米を作ることはとても大変な作業です。米作りには八十八の手間がかかっていると父から教わったことがあります。手間をかけ、大切に育てていくことで、おいしいお米ができると思います。何気なく食べていたお米だけど、一粒一粒に感謝を込めて、今年のお米も毎日おいしく食べたいと思います。

  • お米は日本の宝

    中学校3年生

    山本 朱澪(やまもと しゅれい) 高知市立愛宕中学校

    お米は日本の宝

    高知市立愛宕中学校 3年生 山本 朱澪

     僕は中学二年の冬まで、あまりお米を食べるほうではありませんでした。理由としては、僕は食事に時間をかけるのが嫌なことと、お米があまり好きじゃなかったからです。しかし、学校の給食で出されるお米は全て完食していました。それは、小学校三年生の時の担任の先生に、
    「お米には八十八の神様がいるからできるだけ残さず食べるんだよ。」
    と、言われたことがあったからです。
     それから僕が中二の冬からほぼ毎日夜ご飯にお米を食べるようになったのは、部活動で体調を悪くした際に顧問の先生に、
    「白ご飯食べんと体強くならんよ。」
    と、保健室で言われたことがきっかけです。
     また、僕の家のお米は祖父母と叔父が作ったものをもらっています。祖父母の家では毎年春になると、稲の苗運びをしていて、僕も何度か家族で手伝いに行ったことがありました。一つ三キログラムくらいある苗をバケツリレー方式でビニールハウスの中に並べて置いていく作業を五百個くらいやりました。子供で、元気のあった僕でもすごく疲れて、全身筋肉痛になったのに祖父母や叔父、手伝いに来ていた親戚達は全然疲れを見せていなくてすごいなと思いました。苗運びだけでもこんなに大変なのに、その後祖父母達はビニールハウスの温度管理だったり、水やりや台風などの天候への対策もしないといけません。そして、ビニールハウスで稲がある程度の大きさまで育ったら、田んぼへ田植えをしないといけません。それから十分に稲が育ってから稲刈りをします。
     僕は、稲刈りをする前の田んぼを見るのが好きです。稲穂が太陽に照らされて黄金色に輝いている光景がすごく綺麗で良い気持ちになります。祖父母達が手間をかけて苦労して育てた稲が立派な稲穂を実らせているのを見るとお米があまり好きじゃないなんていう考えは一切なくなっていました。
     それから僕は、お米が大好きになりました。卵かけご飯にしても、丼にしても、普通に食べても美味しくて、ほぼ全ての料理に合うお米の良さに早く気付けなかったことを後悔しています。
     他にも、お米によって食事に時間がかかるようになったけど、家族と話す時間が増えて食事が楽しくなる良さもありました。
     生産者の苦労とかが分かるようになって、お米をちゃんと食べようと思えました。これはお米だけじゃなくても、他の食べ物でも言えると思いました。生産者がいることを忘れずに、感謝を心を持って「いただきます」や「ごちそうさま」を言えば、残そうという思いも減ると思います。
     古くから日本人の食として食べられてきたお米は、体を強くしてくれたり、食事の際には人を笑顔にしてくれる力があります。そんなお米は「日本の宝」だと思いました。