作文の部

特選

  • 農家の努力は食卓の笑顔

    小学校6年生

    山脇 結生(やまわき ゆう) 高知市立朝倉小学校

    農家の努力は食卓の笑顔

    高知市立朝倉小学校 6年生 山脇 結生

     ある日、家族で晩ごはんを食べる時にテレビをつけていると、『新しい品種のお米を作る』という内容の番組が始まりました。その番組では、お米を作るために長年経験してきたことを生かして、田植えをしたり、収穫するものでした。新しい品種を作るということは品種改良をしなければなりません。小さな穂の中の花粉とちがう品種の花粉を結び付けるのはとても難しく、しかも手作業なのでたくさん時間もかかります。花粉を結び付ける相手の品種は、この品種と組み合わせて安全か、そして美味しいかの決め手となるので重要です。私は番組を見ながら、何種類ものお米から一番相性の良い相手を選ぶのは難しいだろうなぁと思いました。
     品種改良が終わってからも大変です。穂が水につかるとカビが繁殖してしまうので穂をしばったり、頻繁に見に行かなければなりません。そして、鳥や虫に穂をつつかれないように対策もしなければならないので農業以外の仕事もしている人は休む時間が無いくらいいそがしそうだなぁと感じました。また私達が気をつけていても、台風や梅雨の関係でダメになってしまう穂の数も多いことが分かりました。
     これらの大きな壁をのりこえてきた穂を私達が食べていると思うと、とてもすごいことでありがたいと思いました。今までの私の思う米作りの大変さをさらに上回る大変さだと知ったときでした。
     私の親せきもお米を作っています。そのうちのもみまきは、親せきみんなで集まり、はば広い世代で手伝います。ビニールハウスには高くつまれたトレーのタワーが何個もありました。みんなのやる気が伝わると、私もその気持ちに応えようとがんばりました。私は、もみをまき、土をかぶせたトレーを運ぼうとしました。
    「何これ、重っ。てぇいたぁい。」
    と弱音をはき、やっと一枚運び終えました。
    「重いろ。お父さんがやるき、軽いやつやりや。」
    と言うと、父はとても重たいトレーをいっきに三、四枚持って運びました。
    「重たくないが。」
    「重いけど、がんばりゆう。」
    父は私の質問にこう答えました。みんながんばっているんだなぁと実感しました。
     でき上がったお米を父が持って帰ってきたときはうれしくてたまりませんでした。そのお米を食べると不思議と笑顔になり、それを見た父も笑顔になりました。これまで私は、このようなお米の一粒を大切にせず、おかず中心のかたよった食事をしていました。
     だから、私の笑顔で父も笑顔になったことを忘れず、農家の努力がつまったお米を食べるときは、その努力に感謝しながら笑顔で食べたいと思います。

    審査講評

    テレビで「新種の米作り」についての情報を得たり、実際に自分がもみまきを体験したりして、米作りの大変さを理解することができました。そんな大変な思いをして作ったお米だということを知っているからこそ結生さんはごはんを食べるとき、自然に笑顔になってくるのでしょう。
    ごはんを食べるときの笑顔には、おいしいという思いとともに、農家のみなさんに感謝するという思いも込められているのですね。そのことが、この作品の題でずばりと表現されています。
  • ごはんの力

    中学校1年生

    筒井 陽彩(つつい ひいろ) いの町立吾北中学校

    ごはんの力

    いの町立吾北中学校 1年生 筒井 陽彩

     毎日僕はごはんを食べます。朝や休日には、たまにパンを食べることもありますが、ほぼ毎朝、ごはんを食べます。昼は給食でごはんを食べます。夜もごはんを食べます。僕の家のごはんは、おじいちゃんの作ったお米です。僕と妹がごはんを残すと、僕のお母さんは、いつも
    「おじいちゃんが作ってくれたお米、力がつくき、残さず食べて。」
    と言います。
     小学校の時、校内マラソン大会の朝、お母さんがごはんをたくさん入れてくれました。
    「何でこんなに入れるが。」
    と聞くと、お母さんは、
    「今日はマラソン大会やろ。ごはん食べんと一位は取れんで。」
    と言いました。そのせいか、マラソン大会は学年一位でした。
     駅伝大会の朝もお母さんは、ごはんを多く入れていました。僕は三区を走りましたが、坂がなくて平らな道でした。結果的には抜かれてしまいましたが、最後まで抜かれた人についていくことができました。この結果は、朝ごはんをたくさん食べいたからかなと思いました。お母さんは
    「ごはんは炭水化物やき、エネルギーになるが。」
    と僕に言います。
     僕は今、中学校でバドミントン部に入っていますが、練習試合や公式戦の時は、お母さんがおにぎりを作ってくれます。すぐにエネルギーになるおにぎりを食べて、僕は八月にあった学年別大会で、一年男子の部で県ベストエイトに入ることができました。ごはんの力はとても大きいと思いました。僕は中学校に入ってバドミントンを始めたばかりです。練習にも休まずに行って一生懸命に努力はしましたが、試合の最後の最後で粘ることができたのは、ごはんの力ではないかと思っています。準決勝で負けた時は、とても悔しかったので、ここからまたいっしょうけんめい練習して、今度こそ負けないようにもっと上手になりたいと思います。
     僕は、今年も田植えも稲刈りも手伝いました。この間、家族全員で稲刈りをして、おじいちゃんが機械で刈りました。
     おじいちゃんは、積みあがった稲を見て、
    「今年もいっぱいお米、食べよ。」
    と言いました。おじいちゃんが刈ってくれた稲はきれいな黄金色でした。これが、おいしい白いお米になるのがなんだか不思議でした。
     僕は、刈り取った稲を束ねる作業を手伝いました。稲は収穫するまでとても大変です。田植えをする前に稲を育てないといけないし田植えの後は水を見に行ったり、害虫駆除をしたりしないといけないからです。秋に大きな台風が来ると思ったよりも収穫できなくなってしまうこともあります。僕はおじいちゃんのおかげで毎日おいしいお米を食べることができます。
     バドミントンの試合の時も、マラソン大会の時も駅伝の時も、僕はごはんに力をもらいました。僕が食べて、エネルギーになるまでに、おじいちゃんの力や家族の力も加わっているごはんです。家族全員の力がこもっているごはんを食べたら、パワーが出てくるのは当然だなと思いました。僕は今からまだまだバドミントンも強くなっていきたいと思っています。バドミントンの試合も今から増えてくると思うので、お母さんがにぎってくれたおにぎりを食べてがんばっていきたいなと思います。
     ごはんは本当に偉大な食べ物だと改めて思いました。日本人は昔からお米を食べてきました。ごはんをたくさん食べれば頭もよくなるし、風邪もひきにくくなるそうです。僕はこれからもおじいちゃんのごはんを食べて、パワーアップしていきたいと思います。

    審査講評

    陽彩さんの力の源は、おじいちゃんが作ったお米です。校内マラソン大会も駅伝大会もバトミントンの試合でも、ごはんをいっぱい食べてがんばりぬくことができました。
    丹精込めてお米を作ってくれたおじいちゃんの力、「がんばれ」という思いをたくして炊いたり、おにぎりを作ってくれたりしたお母さんの力、ごはんには、そんな家族みんなの力が込められているのです。だから、パワーがわいてくるのは当然なのですね。
    これからも、おじいちゃんが作ったお米をいっぱい食べて、勉強もスポーツもパワーアップしてくださいね。

入選

  • 普段食べているお米の価値

    中学校1年生

    松丸 詩(まつまる うた) いの町立吾北中学校

    普段食べているお米の価値

    いの町立吾北中学校 1年生 松丸 詩

     私が帰るといつも食卓には白いごはんがあります。少なくても毎日一回は白いごはんを口に入れます。ごはんがないと物足りなくなります。
     私がいつも家で食べているお米は、おじいちゃんの土地で作られているものです。おじいちゃんの家に行くとお米をたくさんもらいます。おじいちゃんにもらうお米はとてもおいしいです。おじいちゃんの家から、家に帰る途中で、精米所でお米をつきます。私はお母さんと一緒に精米所でお米をつくのが楽しいです。初めは茶色かったお米が一瞬で白くきれいなお米になるのが楽しいからです。家に帰ってお米を炊きます。我が家ではお米を炊くのは私の役目です。実は、以前は、私はお米を炊くのはあまり好きではありませんでした。なかなか白い水は透明にならないし、冬は手が冷たいからです。でも、小学校五年生の時に、家庭科の授業で、炊飯器を使わずにお鍋を使ってお米を炊きました。いつもと違う方法でお米を炊くことが楽しくて、お米が炊き上がるまでもわくわくしていました。炊き上がるとみんなの前でふたを開けました。いつもとは違うにおいがして、食欲がわいてきました。家族のみんなもおいしいと言ってくれて、笑顔になりました。それ以来、私は家でご飯を炊くことを自分の役割にしました。部活でくたくたに疲れていても、家族のために一生懸命お米を炊くようになりました。
     ある日、いつも食べているお米がなくなってしまい、ご飯が炊けなくなりました。お母さんは急いで、コンビニでお米を買ってきました。私は、いつも食べているおじいちゃんのお米の方がおいしいと感じました。お母さんにそう言うと、
    「そりゃあ、そうよ。じいちゃんはみんなのために一生懸命、お米を作ってくれゆうがやき。愛がこもっちゅうで。」
    という返事が返ってきました。
     次の週末、私たちはおじいちゃんの家にお米を取りに行きました。お米を炊き、食卓に出すといい匂いがしました。みんなが、
    「おいしい。」
    と言ってくれて、私はうれしくなりました。
    私は、いつもはそれほど意識せずに、お米を食べています。そのお米をどんな思いでおじいちゃんが作ってくれているか、別のお米を食べてみてよく分かった気がします。普段の食卓にはおじいちゃんはいませんが、おじいちゃんのお米を食べることで、おじいちゃんとつながっているのだと感じました。お米は日本の食卓を支えています。パンやうどんもおいしいですが、やっぱりお米が一番だと思います。米作りは、大変だと思います。おじいちゃんは、その大変な米作りをいっしょうけんめいやって、私たちにお米をくれます。
    感謝しかありません。私の家のお米が一番おいしいと思えるのは、おじいちゃんが作ってくれたからです。愛情という付加価値が加わって、おいしさも倍増です。何気ない毎日のごはんが、今の私を作ってくれています。おじちゃんのことを思いながら、私は今日も帰ってからご飯を炊こうと思っています。

  • おばあちゃんのお米

    小学校6年生

    筒井 咲凪(つつい さな) 高知市立朝倉小学校

    おばあちゃんのお米

    高知市立朝倉小学校 6年生 筒井 咲凪

     私がいつも家で食べているご飯のお米は、私のおばあちゃんが作っているお米です。
     いの町に住んでいるおばあちゃんはいつも暑い中、私たちのために必死で作ってくれています。
     私が三年生ぐらいの時、おばあちゃんの家へ遊びに母たちと行ったことがありました。
    「よく、来てくれたねぇ。」
    とおばあちゃんがげんかんへ来てくれました。
     そして何時間かして、おばあちゃんが、
    「咲凪、いっしょにおいなりさん作ろう!。」
    と言いました。私は、
    「うん!。」
    と笑顔で応えました。
     そして、台所へ行くとたきたてのお米と酢などおいなりさんを作る準備ができていました。
    「わあ。すごい!たきたてのご飯のいいにおいがする!!。」
    私はとっさにそう言ってしまいました。
    「このお米、おばあちゃんが作ったがよ。」
    「咲凪たちにおいしいって言ってもらえるようにがんばって作ったがよ。」
     私がその言葉に感謝でいっぱいの気持ちになりました。
     そしていよいよ作り始めました。
    「まず、ご飯に酢を入れてまぜてね。」
    私は言われたとおりに力いっぱいでまぜました。そして次は、手に少し水をつけて酢をまぜたご飯を少し手にとり手でにぎりました。
    「まだ少し熱いき、気をつけてね。」
    おばあちゃんがいったとおりまだ少し熱かったのでにぎるときは大変でした。何個かにぎり終わると次はあげでにぎったご飯を包みました。そのときもご飯がうまく入ってくれず苦戦していましたがそれからやっと全部入れると、ほっとしました。
    「もう、完成したで!。」
    とおばあちゃんに言われました。これまで夢中になってやっていたので(もう終わりか。)という気持ちで時間が短く感じられました。
     できあがったおいなりさんは、とてもきれいで、買い物で買うおいなりさんとは全然ちがうような物でした。
     そして、お母さんや妹のいる部屋へできあがったおいなりさんをもって行きました。すると、
    「すごい!!よくできちゅうね。」
    と言ってくれました。私はとてもうれしかったです。そして、おばあちゃんと、ひまわりのような笑顔で笑い合いました。
     このように、こうして、おいしいお米を食べれるのは、作ってくれているおばあちゃんのおかげです。本当にいつも感謝の気持ちでいっぱいです。
     いつもありがとう。これからもおいしいお米を作ってね。

  • 幸せを運ぶお米

    小学校6年生

    山本 苺花(やまもと いちか) 高知市立初月小学校

    幸せを運ぶお米

    高知市立初月小学校 6年生 山本 苺花

     私とお米といえば、私の思い出によく関わってくるものだ。母に小さい頃の話を聞くとほとんど、お米に関わった話が出てくる。
     私が一才の時におばあちゃんちで、誕生日会が開かれた。目の前にはたくさんのごちそうがあった。しかし私は、別の机の上にあった、ひえたご飯に手をのばし、机の上へのぼり、ずっとご飯を食べていたそうだ。それに気がついた人が、ごちそうの前へ私を運んでくれたのだが私は何度も机の上へ向かっていったそうだ。ご飯をとりあげられた私は大泣きし、もどすと泣きやむといった状態だったらしい。その頃から私はご飯が好きだったのかもしれない。
     その後、おばあちゃんからお祝いとして、一キログラムのおもちをもらった。リュックへ入れて立ち上がれるかということをしようとしていたのだ。おばあちゃんが私におもちを差し出しながら
    「いっちゃん!もって!」
    と何度も言っていたが、私は口を開けるばかりで持とうとしなかった。おばあちゃんたちは私におもちを持ってもらい、写真でもとりたかったのだろうが、私はとにかく食べたかったのだろう。どちらも引き下がることはなかった。しばらくすると私はイライラしだしとうとうおもちを包つんであったラップを歯で引きちぎり、おもちを食べ始めたそうだ。その場にいた人たちは予想外の出来事に大爆笑。一キログラムのおもちが少し減ってしまった。その後、何年経ってもみんな私の思い出といえばこの話をする。私も最近になって、当時の映ぞうのDVDが見つかり、見てみたが、自分のことなのに、おなかが痛くなるくらい笑ってしまった。おもち一つが人々を笑顔にし、みんなの心に残こるような思い出を作ったのだ。
     思い出はまだある。私が最初に料理に関わったのは、ごはんをたいたということだ。私は母に、
    「ごはん。たいてみる?」
    と聞かれたのがきっかけで、初めて料理に関わることになったのだ。母に教えてもらいながらごはんをたいた。待っている間、あれだけでいつも食べているご飯になるのか、とても不思議に思っていた。そして、とても楽しみだった。すいはん機のたけた音がして、開けて見せてもらうとたきたてのキラキラとふっくらしたご飯があり、感動した。自分でたいたご飯はとてもおいしかった。あの時の感動は忘れることができない。
     このように、数々の楽しい思い出をくれたお米にはとても感謝している。これからのお米に関わっていき、楽しい思い出を作っていきたい。

  • 幸せのいなかずし

    小学校6年生

    坂本 広香(さかもと ひろか) 四万十市立西土佐小学校

    幸せのいなかずし

    四万十市立西土佐小学校 6年生 坂本 広香

     わたしのばあちゃんは、長生茶屋の一員です。ばあちゃんたち三人は、主に、いなかずしや、赤飯などを作って道の駅や松山で売っています。わたしが一番好きなのは、いなかずしの中の卵ずしです。卵ずしは、中に具が入っていて、卵でまいているおすしです。ばあちゃんは、売れ残った時などに持って帰ります。わたしは学校帰りに、いなかずしをよく食べさせてもらいます。学校帰りは、少しつかれているけど、いなかずしを食べたら、つかれがなくなり、幸せになります。ばあちゃんが、
    「今日は、いなかずしないけん。」
    と、時々言います。その時、わたしは、がっかりします。
     五年の総合の授業で、ばあちゃんたち、長生茶屋さんの人たちに学校へ来てもらい、いなかずしについて教えてもらいました。教えてもらってから、わたしは、初めて知ったことが三つありました。一つ目は、いなかずしの中に、いっぱい種類があったことです。わたしは、これまでに、卵ずし、こんぶずし、のりずししか食べたことがありませんでした。しかし、りゅうきゅうずし、たけのこずし、こんにゃくずし、たかなずし、みょうがずしがあることが分かりました。その中の、たけのこずし、こんにゃくずしを、ばあちゃんたちがみんなの分を作ってもってきて食べさせてくれました。クラスのみんなが、
    「ほっぺたが落ちそう。」
    「おいしい。」
    と、口々に笑顔で言っていました。わたしも、初めて食べたけど、両方ともおいしかったです。二つ目に知ったことは、全部地元でとれた食材だったことです。りゅうきゅうやたけのこやたかななどの食材は、スーパーで買った物だと思っていました。しかし、これらは、全部、ばあちゃんがとった物をれいとうしていたと知っておどろきました。れいとうするなんて、わたしには考えられないことをしていて、すごいと思いました。三つ目に知ったことは、朝三時から、三人で集会所に集まっていなかずしを作っていることです。わたしたちは、三時には、ねている時間です。わたしは、そんな早い時間に起きて、いなかずしを作るのは、無理だなと思いました。
    「早や。」
    「そんな時間に起きるなんて無理だ。」
    と、みんなも、おどろいている様子でした。
     わたしは、今後、ばあちゃんたち長生茶屋のいなかずしを作り続けてほしいと思います。わたしは、家でばあちゃんたちの手作りのいなかずしを食べることができて、幸せものだと思います。